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巨星堕つ。フランス料理界のポールボキューズ死去。

mainichi.jp

巨星堕つ。

フランスのフランス料理の巨匠ポールボキューズ氏が亡くなられた。91歳。

ミシュラン星付きレストランのオーナーシェフとしては長生きでしたが、亡くなられたてしまいました。

ミシュランの3つ星に対するプレッシャーから引退したり早死にしたり、中には3つ星から2つ星に降格~自殺なんてのもフランスではあったりします。

そんな中ずっと星を維持してきたのはこの上ない苦労や思いもあったでしょう。

晩年はパーキンソン病と闘っていたとも聞いています。


ポールボキューズ

ウイッキペディアによると

リヨン近郊、ローヌ県コロンジュ・オ・モン・ドールの料理人の家系に生まれる。1942年、16歳でリヨンの「レストラン・ド・ラ・ソワリー」(Restaurant de la Soierie)で見習いを始める。1944年には志願して従軍。第二次世界大戦後の1946年、リヨンの「ラ・メール・ブラジエ」(La Mère Brazier)で修行した後パリでもキャリアを積み、「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンに大きな影響を受けた。1959年に生家のレストラン「ポール・ボキューズ」を継いで、1961年には国家最優秀職人章(MOF)を取得、1965年に得たミシュランの3つ星を50年以上維持した。

鱸のパイ包み焼きや、料理人としてはじめてレジオン・ド・ヌール勲章を受勲した際、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領に捧げたトリュフのスープはあまりに有名。クレーム・ブリュレを今の形にしたのも彼である。

日本での展開としては、かつてボキューズとの提携店として、銀座の「レンガ屋」や、六本木のアークヒルズ内の「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」が営業していたが、その後いずれも閉店した。2007年からはひらまつと提携して再びボキューズ・ブランドによる店舗展開を行っている。

日本における弟子としては、ボキューズのスー・シェフを務めた後1972年に銀座レンガ屋開店のため来日し、現在は東京ミッドタウンの「キュイジーヌ・フランセーズJJ(cuisine francaise JJ)」のシェフを務めていたジョエル・ブリュアン(Joel Bruant)がいる。また、日本人では、「アピシウス(APICIUS)」の総料理長である小林定や、「シェ・ナカ(Chez Naka)」のオーナ・シェフ中村通武、「ラ・ベカス(La Becasse)」の渋谷圭紀、「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ(Les Creations de NARISAWA)」の成澤由浩などがレストラン「ポール・ボキューズ」で修行している。

2018年1月20日にリヨン近郊のボキューズにて91歳で死去[1][2]。死去時点で小野二郎(当時92歳)に次ぐ高齢3つ星シェフであった。

(ウイッキペディアより)





ボキューズ氏の料理を食べることはなかったのは残念ですが、

ポールボキューズ氏のスペシャリテに(スズキのパイ包み焼き)てのがあります。

魚のスズキをパイ皮で焼き上げソースショロンで頂くのだか、昔料理人はこぞって作って一世を風靡しました。

元々はボキューズ氏の師匠フェルナンポワン氏からスズキのパイ包み焼きを伝承、本来はソースブールブランだったのをソースショロンに変えたとも聞いております。

下の写真はポールボキューズ氏に師事していた方のお店に行ったときの(スズキのパイ包み焼き)です。
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当時、彼の影響力は凄く日本の懐石料理からヒントを得た(ヌーベルキュイジーヌ、新フランス料理)て言葉も出来たりしました。

よく料理人が写真を撮るとき腕を組んでる写真を見たことあるとは思うのですがこれはポールボキューズ氏の影響だと言われています。

一般の方から見ると腕を組んで写真なんて偉そうにしやがってて思うかもしれませんが、取材や撮影があったりすると、わたしも自然と腕を組み撮ってました(笑)(^_-)

フランス料理界に多大なる影響、功績を残した氏に心よりご冥福をお祈りいたします。